【60歳からのテント泊縦走】最初にどのように山に登ってきたか振り返ります
目標にしていた、北アルプスのテント泊縦走が達成できたので、私のこれまでの山登りについて整理してみたいと思います。
というか、忘れていることが多いので、ここらへんで備忘録的に整理したいということなのですが(^^;
大学時代(昭和51年~56年)
私が山に登るようになったのは、ワンダーフォーゲル部に入部してからです。それまで、山に興味があったわけではありません。
大学時代は宮崎市で過ごしました。平日は大学から平和台までランニングして、腹筋、背筋等の筋トレ、仕上げは階段ダッシュです。ボッカで40kg担いで双石山と鰐塚山に登ってました。
夏合宿で南アルプスに登りました。10日ほどの縦走です。
山ではないですが、1年と2年の春休みに四国八十八ヶ所を歩きました。4年の時は、宗谷岬から佐田岬まで歩きました(日本縦断というやつです)。もちろんツエルト担いで野宿です。おかげで、卒業するのに5年かかりました(^^;
就職してから(昭和56年~60年)
就職して2年目にキリマンジャロに登りました。ギルマンズポイント(5,685m)で力尽きました。5,000mを超える高所はさすがに空気が薄かったですね。
大学時代は北アルプスの山に登ったことがなかったので、
テント泊縦走です。20kg近く担いでいたと思います。
以降山からは遠ざかってしまいました。
登山再入門(平成24年~)
改めて整理してみると、山に登っていたのは20代の時です。再入門まで25年のブランクがあります。
きっかけは、高2の息子(次男)が山に登りたいと言ったことでした。息子はサッカー部をやめたばかりでした。
初心者なのにいきなり、「表銀座」を登ることに決めて、二人でトレーニングを開始しました。今考えれば無謀だったかな。特に私の体力はギリギリでした。毎日ランニングを行い、体重も60kg台まで落としたのですが、足腰の筋力が十分ではなかったですね。持久力もありませんでした。
トレーンングで膝が痛くなったので、病院に行くと変形性膝関節症(両足とも)と診断されました。先生からは、「大丈夫行けます」と励まされ、ヒアルロン酸注射をして、何とか登ることができました。
深夜バスで出発
合戦小屋でスイカ
久しぶりに槍ヶ岳をみました。
コマクサの群落
ずっとこんな感じでした。
東鎌尾根のハシゴ
展望はありませんが、一応槍ヶ岳に登ることができました。
名古屋駅地下の矢場とんで打ち上げ。名古屋駅では歩けないほど疲労していました。
表銀座縦走後、9月14日の俵山に始まり12月までに10回山に行きました。体力も次第についてきました。膝まわりの筋力もついてきたので、膝の痛みも軽減していきました。私の登山生活が始まりました!
この時点で、テント泊はまだ憧れでした。
平成25年
週末には、山に行くようになっていました。順調すぎると落とし穴がありますね、4月21日京丈山の下山中に右肩を脱臼し手術することになりました。リハビリ生活が始まりました。
10月14日に俵山で復帰登山。12月には、雪の九重に初めて登りました。12月23日の阿蘇中岳では、初めてアイゼンつけて登りました。
12月23日 雪の阿蘇山
平成26年
平成26年は雪の九重や俵山を楽しむことができました。俵山、阿蘇山、九重山を中心に登っていたのですが、5月には祖母山、傾山に登りました。
9月にヤフーブログをはじめました。11月3日に鳴子山(九重山)に南東尾根から登りました。よく知られたルートですが、地図には載ってないコースですね。
以降ブログと登山を休止しました。
長男の骨髄移植と闘病生活が始まりました。
今回はここまで、次回は登山再開から始めます。
つづく